歴代藩主


 六代 松平義裕 

 通称哲之助、実名始め柄常のち義裕と改める。宝暦十二年九月二十七日生まれ。松平中務大輔義敏の子。 安永六年正月兄松平摂津守義柄が尾張藩に入ったため高須藩主となる。安永六年十二月十八日従五位下に叙爵、摂津守に任官。同日、従四位下に叙爵、侍従に任官摂津守を兼ねる。
 安永八年十二月十六日左近衛少将に任官摂津守を兼ねる。
 正室は水戸藩主徳川宰相治保の娘、時姫。
 二女あり一人は早世。董姫は、松平弾正大弼勝當の養女となりのち松平摂津守義居に嫁す。
 寛政六年尾張藩の巾下学問所を貰い請け日新堂を整備した。
 安永七年十一月三日藩庁を駒野村より高須に戻した。 寛政七年九月十七日逝去。享年三十四歳。在任年数は十八年。
 諡号は本崇院清誉徳仁順明。
 (高藩紀事、名古屋市史人物編)

 七代 松平勝當 

 通称幸之丞、字は承卿、金臺と号する。元文元年十二月朔日生まれ。松平義淳(宗勝)の第七子生母は永附属の家馬場林左衛門の娘登世(清光院)。
 寛延元年十二月二十一日従五位下に叙爵、弾正大弼に任官。同日、従四位下に叙爵、左近衛少将に任官弾正大弼を兼ねる。寛政七年九月二十五日高須藩主となる。寛政十一年十二月十八日精勤久しいとして特に従四位上に叙爵された。
 正室はなし。
 著書に兵械考證・和漢画人小伝・明画略譜があり、また兵具製作書、他に生物模写もしたという。また、明和八年から安永三年ごろにかけて尾張徳川家と分家三家の系譜を編纂した。
 『諸大名の学術と文芸の研究』には「勝當詩を好む。字は承卿、金臺と號す集あり、詩薈にはその作二十六首をぬきたり。」とある。
 一男一女あり、男子は早世。琴姫、徳川中納言宗睦の養女となる。始め加賀藩前田斉廣に嫁ぐ。のち病のため離縁、維姫と改名し近衛左大臣基前に嫁ぐ。
 享和元年九月十二日逝去、享年六十六歳。在任年数は六年。
 諡号は大慈院空譽常覺恵念
 (高藩紀事、名古屋市史人物編、徳川諸家系譜、諸大名の学術と文芸の研究、尾張徳川家系譜、熈朝詩薈)


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