歴代藩主

 八代 松平義居 

 通称亀之助。天明五年十月十五日生まれ。一橋民部卿治濟の第十子、生母は丸山氏。寛政八年、十二歳で松平弾正大弼勝當の養子となる。
 寛政十一年十二月十八日従五位下に叙爵、摂津守に任官、同日、従四位下に叙爵、侍従に任官、摂津守を兼ねる。享和元年十月二十七日高須藩主となる。享和元年十月十二月十六日左近衛少将に任官、摂津守を兼ねる。 
 正室は松平摂津守義裕の娘、松平弾正大弼勝當の養女董姫。
 子供はなし。
 文化元年十月十六日逝去、享年二十歳。在任年数は三年。
 諡号は廣恩院大誉普化報眞。
 (高藩紀事、名古屋市史人物編、徳川諸家系譜)

 九代 松平義和 

 通称は泰之允、実名は保右、保友、義和。安永五年八月十四日生まれ。水戸徳川中納言治保の子生母は、前田氏。
 文化元年十月四日に義居の養子となり、文化元年十月十六日高須藩主となる。
 文化元年十二月二十八日従五位下に叙爵、中務大輔に任官。同日、従四位下に叙爵、侍従に任官中務大輔を兼ねる。
 文化二年十二月二十八日左近衛少将に任官、中務大輔を兼ねる。
 正室はなし。
 三男一女あり、一人早世する。長男義質、十七歳で没する。次男義建が家督を継ぐ。三男邦之丞は遠藤但馬守胤統の養子となり、胤昌と称する。宣姫は出雲広瀬藩松平佐渡守直諒に嫁ぐ。
 生涯水戸家小石川の藩邸に住んだという。水戸の徳川斉昭から宇和島藩伊達宗城あての書簡に「摂の実父一眼ニて、一生此方ニ居候との事故……」という記事が見える。
 世禄制を施行する。
 『諸大名の学術と文芸の研究』によれば義和の著作として「狂句聞書集(別名潭海)日記として自棒録・乗斎録・賞蘭斎自記がある。」としているが、乗斎録、賞蘭斎自記については、題名から子の義建の日記と考えられる。
 吉田耕平遺愛品の売立目録に「義和公手造黒茶碗 銘明鳥」とあり作陶をしたことが想像される。
 天保三年正月十五日逝去、享年五十七歳。在任年数は二十八年。
 諡号は泰量院功譽徳岸。  
 (高藩紀事、名古屋市史人物編、徳川諸家系譜、徳川斉昭・伊達宗城往復書簡集)
 付記
 遠藤胤昌
 三男邦之丞は遠藤但馬守胤統の養子となり、胤昌と称する。
 松平容敬
 幕府には文化三年四月生れと届けられる。通称慶三郎。文政五年二月会津松平家肥後守容衆の養子となる。嘉永五年二月逝去。


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