大野周輔 

 実名重民、字は子教、敬斎と号する。
 行基寺所蔵の天保初年頃の城下図に禅海寺前の長屋に大野周助という人物が載っているが同一人物か。
 幕末の三筆の一人市河米庵の門下として書に優れる。嘉永年間京都に出て筆道を出張教授する。津藩の学者と親交があったらしく、斎藤拙堂の著作「拙堂文話」、「続拙堂文話」、津坂東陽の「夜航詩話」、「聴訟彙案」清余照亭輯の「頭字韻」の序文、平松楽斎刊の「袖珍孝経」の版下、また中尾貞幹の墓碑銘、無縁塚の銘(ともに円心寺在)などを書いている。
 (大日本書画名家大鑑、三野人物考、行基寺所蔵城下図)
 

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