荻原嚴雄

 通称雄之進。天保七年正月十五日生まれ。
 職禄名譜・尾三士族名簿に荻原雄之進の名は見当たらないが、平田家の門人姓名録には高須藩とある。  なお、荻原姓は二軒あった。
 文久三年五月十四日平田門人となる。明治元年には京都に詰めていたらしく間秀矩の日記に千賀 通世、松岡利紀の名と共に見える。
 新政府に出仕し明治二年七月八日神祇官正七位権少祐に任じられる。
 明治三年五月六日に行われた国学四大人の霊祭を青山景通、三輪田元綱等ととも行う。
 式部寮掌典を経て明治三十一年二月二十八日儀礼官の御歌所参侯となる。
 老齢をもって退職ののちは、大和丹波市に住み天理教の祭司指導に当たった。
 大正十三年二月一日歿する。享年八十九歳。
 和歌の作品に、
    鶯
のとかなる野邉の霞は鶯のこゑにひかれて匂ひそむらむ
    草花
あせやすき色たにあるをしら露のおきたわめたる桔梗の花
         (御歌所の研究所載)
  というのがある。
(間秀矩戌辰日記、門人姓名録、御歌所の研究、明治神道史の研究)



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