大関郡太夫

 実名直堅、通称始め郡八、のち吉右衛門、郡太夫と称する。
 川田窪家(尾張藩分家の一つ)の足軽頭の時、松平友相(後の高須藩主三代目松平義淳)の神道流鎗術師範を勤める。松平友相が享保十七年高須藩主を継ぎ、それにともない享保十七年九月十五日御側寄組召出され、馬廻、御使役、御目付を勤める。
 静流薙刀を武州浪人川副佐仲李達から受け尾張藩士沼田與左衛門正京、丹羽織江氏張、高須藩士古田市右衛門正證、同苗郡太夫直恒らに教授する。また、棚橋流(居合、薙刀)を起こした。
 尾張藩士山田彦内より無二流(不二流)の強法を学ぶ。のち無二流は伊奈左之右衛門房矩、山崎弥太郎貞盛等の家に伝った。
 安永七年八月二十五日歿する。
 (職禄名譜、張藩武術師系録、戴公紀年録、御家中武芸はしり廻り)

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