菅屋九右衛門

 実名興政、通称伝九郎のち九右衛門と改める。
 宝永五年六月廿日徒に召出される。御勝手目付、徒目付、賄頭、台所頭を歴任する。享保十一年十一月朔日願いにより中組に入る。
 猪谷流剣術切合・圓明流に優れる。
 猪谷流剣術切合を学び印可を受けていたが、叔父の尾張藩士左右田武助邦俊(圓明流)の道場で叔父と立会った際たちまち破れた。以後猪谷流を絶門し左右田武助邦俊の弟子となり圓明流を学び免許を得た。
 寛保三年二月二日没する。高須の昌運寺に墓がある。 菅屋九右衛門興政者平信長長臣菅屋九右衛門長頼之裔生干尾張名古屋仕於濃州高須焉囗十六歳学剣術猪谷只四郎敏善得師之意囗又学圓明剣術於左右田水哉軒遂得其奥囗囗雖有師傳而悟眞囗囗由自己精一之用功也常教其門人曰兵術専因心気之功不假事為按排則其變態自出未發之中自己不相興囗我相忌所向而無不勝者也晩見於三輪囗斎先生開聖学致良智之説大悦曰即此不異圓明剣術之用心爾後留心於其学焉去歳以来囗羅囗今年二月二日遂没行年五十有四葬干高須昌運寺鳴呼哀哉予爲之誌其終身経歴授概於碑陰以謀不朽云
        家兄坂井政右衛門重玄謹記
  (職禄名譜、墓碑、武芸師家旧話)


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