高木杢衛

 実名貞一、通称初め良之進のち杢衛と改める。竹山のち竹軒と号する。別に一如、古竹、無無道人、龍南樵夫の号がある。天保三年三月生まれ。
 長谷川敬に風傳流鎗術を学び免許皆伝を受ける。
 安政二年四月十日内組に召出される。のち留役、添書を勤め慶応二年から三年まで竹佐陣屋の代官を勤める。また藩の事情探索方として上京した。
 明治元年十二月笠松県聴訟方に出仕のち高須藩に戻り政事庁準三等大属となり岐阜県への事務引継ぎを行う。
 明治十一年旧高須藩士の授産のため国立七十六銀行の設立に参加、専務取締役となる。
 時期は不明ながら大沼枕山(幕臣、漢詩人、尾張一宮有隣舎で学ぶ)の門に入ったという。
 また、委蛇々々吟社(江山吟社)を主宰して後進を指導する。
 明治二十五年城山村に居を移す。
 明治二十九年十月吉田利和は、竹軒の西山山荘を訪れ詩歌の応酬をおこなった。
  山桜也似緑林賊  樹々偸春花正狂 
  秋燕不知明年事  旧巣何処説興亡
                    竹軒
  春の色をぬすむこころにもにくからず
  帰りざくらの花の一枝        
つばくらめ春帰りきていかばかりおどろくらむかあれし軒ばを
                   利和
        (桂園派歌人吉田利和所載)
 明治四十四年三月子息高木貞幹の上木により『竹軒百律』を発行する。
 大正九年五月十九日歿する。
 著作に竹軒百律の他古竹集・竹輪全集・続竹軒百律・続々竹軒百律・竹軒百絶・竹軒獲麟集(編 者未見、濃飛文教史による。)がある。
 (濃飛文教史、美濃地住当懸貫属士族勤書、桂園派歌人吉田利和、竹軒百律)
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