安政五年(一八五八)七月五日
 幕府の命により慶勝公退隠され義比公が尾張藩主となる。将軍より偏諱を賜り茂徳と改名する。これにより、義比公嫡子秀麿君(義端)が家督を相続し、十二代藩主となる。 
安政五年(一八五八)十一月二十六日
 慶勝の側近であった長谷川惣蔵、沢田庫之進が尾張藩寄合から高須藩の中組に戻される。
安政六年(一八五九)二月二十二日 暁丑之刻
 青山の松平遠江守屋敷より出火。尾張藩戸山屋敷、川田久保屋敷、高須藩四ッ谷邸類焼につき尾張藩市谷邸、四月二日角筈邸に移る。
安政六年(一八五九)八月十四日 
 住居再建され四ッ谷邸に戻る。
万延元年(一八六○)五月十八日
 逝去。天徳寺に葬られる。なお幕府には、七月二日と届ける。


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十二代目 松平義端