座田維貞の国基について

美濃高須出身で学習院の雑掌となり「国基」を著した座田維貞について「明治維新と京都」では「国史略」を著した岩垣松苗「日本外史」を著した頼山陽とともに幕末京都を代表する史論家と評している。
 国基は天保六年に草稿が成り天保八年に刊行された。嘉永二年に学習院にまた、安政二年十月に尾張藩明倫堂にも献納されている。安政二年に至り関白鷹司政通により孝明天皇の叡覧を賜った。
 安政四年には、知人朋友叡覧を賀し詩歌文章を贈りこれを一冊にまとめ「国基題詠集」として刊行された。
 国基は管見の限り次のとおり異本が多く何度も刊行されたと思われる。

  A本 従二位清原宣明の序千種有功の和歌、小泉康敬のはしがき、天保八年の巌垣亀の跋のみ
     の版本

  B本 A本に加えて巻末に嘉永七年の京極綱の文章のある版本
  C本 A本に加えて安政二年六月の正三位大中臣教忠の序、巻末に嘉永七年の京極綱の文章の
     ある版本

  D本 A本に加えて安政二年六月の正三位大中臣教忠の序、及び天覧を喜ぶ座田維貞の自跋が
     ある版本

  E本 D本に加えて、見返しに国基の題字があり、自跋のあと「献国基記喜」の文があり「紀
     朝臣維貞」の朱印が押してある版本

  F本 D本に加えて見返しの国基の題字に「近衛左府忠煕公御筆」と印刷され、「献国基記
     喜」の印が「紀維貞」と印刷の版本



 上記のうちBとEは松風園文庫所蔵A、C、Dは愛媛大学図書館鈴鹿文庫にありデジタル化資料としてインターネット上に公開されている。Fは岐阜県立図書館に所蔵されている。なお、F本は「近衛左府忠煕御筆」とあることから安政四年から安政六年三月の間に発行されたものと思われる。
 ところで、尾張藩明倫堂督学を務めた細野要斎の随筆「感興漫筆」に国基の書評がある。

○七月朔日夜、国基(板本一冊)を読。(桜井東涯蔵本一得借来)此書、京都学習院の吏職左兵衛門大尉紀維貞の著す所なり。首に漢土興亡の跡をのべ各其弊あるをいひ、和漢土地の異あるによりて、漢には君を弑するの事あり。伏羲以来、異姓を以て天位を承く。湯武は其太しきもの也。中庸に仲尼祖述し、襲水土といへるは、最も眼を著くべき所也。孔子は簒弑の非なるを知り給へども、風土のなす所如何ともすべからず。春秋を編述し給ひて名分を正し、泰伯文王を至徳と給ひ、武を善尽さずとの給ふ。孔子をして皇国に生れしめば、其美を承よろこび、決して放伐を是とし給はじといふの意をのぶ 是に漢土歴代興亡の跡をいふ。簡にして可看。
 此書、我先輩をして見せしめば、敢て頷せんや否や未だ知る事能はず。
 維貞もと尾張の人、京に入り雑掌となりて堂上家に周旋す。世事にかしこく貨殖の術に長ぜり。堂上家皆これを愛す。学習院は仙洞御所御創建の学校なり、維貞これに入て吏職を勤む。去年□月病没す。 享年六拾歳余。
 右七月四日桜井東涯に聞く。

とある。文中の桜井東涯は、名は武信、東門と号し建中寺前に住む。尾張藩お目見医師大鶴活庵の門に入り儒医兼学をした人物。一得は、細野要斎の男子。

国基の再評価

国基は明治末年から昭和初期までの間に時代背景を以て個人、社会団体から繰り返し発行された。 その始まりは学習院院長であった乃木希典が私費を投じて印刷して頒布したこと及び自ら学生達に講義を行ったことにある。
 その乃木希典院長に国基を紹介したのが哲学者で「国民道徳論」を提唱した井上哲次郎東京大学教授である。「乃木院長記念録」に「それからして紀維貞の「国基」という書物も御覧に入れました。是は水戸学ではありませぬが紀維貞は曾て学習院が京都に設けられましたときに教員になった人であります。さうして此の「国基」といふ本は殆ど世間に忘れられて居た本でありますけれども私が一読して見た所が国体の書物でありまして、ちょっと見所のある本でありましたから多分乃木大将の趣味に合して居る所があろうと思って御貸し申した所が非常にお気に入りまして之をそっくり活版刷にされましてそうして曾て学習院に何か式のあったときに来賓に配られました。其の他定めて廣く知友に寄贈されたでありませう。其の時には彼の長谷川昭道の「九経談総論評説」といふものも一緒に版にして人に配られましたのであります。」として井上哲次郎の談話が載っている。
 講義については、同じく「乃木院長記念録」に
 「明治四十五年二月の初めより第三寮談話室に於いて「国基」の講義をせられた。二月などは日の短い時であるから朝の六時と云ふと随分早いから電燈を用ひなければならぬが未だ寮生が一人も出席せぬ余程以前から院長は談話室へ来られ先ず御好みの熱い茶か麦湯かを湯呑茶碗で一二杯飲まれるのが常であった。講義の仕方は寧ろ素読と云ふ風であったただ大切と思われる文句に来ると色々例などを引いて説明された。」との服部亀助教授の記事があり、また日南恒太郎教授の記事に「明治四十四年の秋当時の中等学科第六年生の為めに院長が第三寮で国基を講ぜられたことがある。其の時「夷斎乃獨介然義不食周栗以立千古人臣之防焉」と云ふ句になって「是は支那だから之で善からうが日本ではこんな餓死に甘んずるやうな意気地の無いことではならぬ。もっと大にやらなくちゃならぬ」と切言されたのが特に耳に残って居ります。」というのもあった。
 乃木希典の印刷について「乃木院長記念録」の「院長出版物表」には国基は二百部 明治四十二年七月とあり、また同表に「紀維貞略傳」が二百枚、石版(院長直筆)明治四十三年五月とある。
 乃木希典院長のあと世間において発行されたものについて管見のかぎり挙げてみる。
 ○新訳 国基 
  
 大正元年九月廿五日 如山堂書店発行 日本弘道会編輯足立栗園約
    表紙に「乃木大将推奨不措自ら覆刻頒布せられたる士道修養養上唯一無二の名著」
 ○贈正五位座田維貞君著 国基 附 国基題詠集
   明治四十五年五月三十一日 明倫舎発行。緒言に「乃木院長は自ら批點を加えて一本を翁の
  孫祐三郎氏に贈らるる今幸にその書を借覧し得たれば院長の批點を附することとせり」ある。

 ○日本国粋全書 第二編 所収
  大正五年六月十日 日本国粋全書刊行会発行 代表遠藤隆吉
  解題に「乃木大将が本書を愛読して措かず、曾て之を翻刻して知人に頒與せられたりという」
  とある。

 ○勤皇文庫 第三巻教学編下所収
   大正九年一月三十日発行 財団法人 社会教育協会発行
 ○国基 横堀滋眼院発行本
   大正十二年春第一版発行、昭和三年十月二十五日第三版発行、第二版は関東大震災により焼失
   衆院議員横堀三子が乃木希典大将より贈呈された本をもとに子息の医師横堀龍男が注釈を加
   え非売品として発行し頒布したもの。

 ○国民思想叢書 国体編中 加藤咄堂編 
   昭和七年三月十日 大東出版社発行、標註は足立栗園が行った。
 ○修養大講座 第七巻 加藤咄堂口述
   昭和十六年三月十四日 平凡社発行
 
 なお、岐阜県立図書館には、発行年月が不明の活字本がある。
 また未見であるが東京都立図書館中山久四郎旧蔵資料に明治三十年跋のある版本があるという。


   美濃の文化NO127(26.2.10)掲載

                       <戻る>